トマト在住の青年による執筆活動

短編の小説を書いていきます。不定期・自己ベスト更新です。たまーに自分勝手な記事も書きます。

短編№2 ロッカー番号二十番の神様⑩

   「橋本ぉ。さっさと帰るぞー。」
 「あ、ごめん石田。国語の宿題、教室に忘れてきたっ。取ってくるから、先
に歩いてて。」
 「わかった。早く来いよ。」
 「ありがとう。」
 頭をポリポリと掻きながら急かす石田に自然と礼をこぼし、橋本は小走りで
校舎へと歩き出した。
 「橋本。」
 校舎へ入る昇降口を登ると、横にある自販機に寄りかかっていた松井に声を
かけられた。
 「えっと、何かな?」
 「いや、校舎に何か用かなって・・・。私は、彩花を待ってるだけ、何だけ
ど。」
 松井にしては珍しく、はっきりしない口調だった。
 「ちょっと教室に忘れ物してさ。取りに行くんだ。」
 「そ、そう。」
 松井はそれだけ言って、あとは押し黙っていた。
 「じゃ、じゃあね。また明日。」
 松井に別れを告げ、橋本は校舎へと入った。靴を室内履きに履き替え、目の
前の急階段を駆け上がる。部活の後で疲弊した両足が悲鳴を上げた。その悲鳴
を無視して二階まで駆け上がると、一直線の廊下をこちらへ向けて走ってくる
背の小さい女子生徒が目に入った・・・と思った瞬間、
 ドン!
と音を立て、正面からぶつかってしまった。
 「す、すいませんっ!すいませんっ!」
 「えっと、大丈夫・・・?」
 跳ね返って尻餅をついた女子生徒は、落としたバッグを拾うと、ポニーテー
ルの髪の毛を揺らしながら猛ダッシュで階段を下っていってしまった。
 橋本は悪い予感を抱いていた。案の定、彼女以外に二階には人気がなく、そ
して三年一組の教室の鍵は、誰もいないのに開いていた。
 橋本は素早く中に入ると、自分のロッカーを開けた。

 「やっぱりか・・・。」
 
 空であるはずのロッカーに、手紙が一つ入っていた。

 月が変わった初日、橋本はいつもより早く登校し、四階の階段前に立ってい
た。スマホの画面を触りながら、目の前の階段を上ってくる生徒の顔を確認す
る。朝早くに上級生が突っ立っている光景が珍しいのか、下級生はチラチラと
こちらを気にしながら通り過ぎていく。我ながら、おかしなことをしていると
は思う。けれど、橋本はどうしても、手紙を書いた生徒のことが、気になって
仕方がなかった。
 「えー!桜、マジで手紙入れたのー!?」
 「う、うん・・・。」
 八時を少し回った頃、驚きを隠さない大きな声と、控えめに受け答えをする
女子二人の声が聞こえてきた。
 直ぐに、声の主達が姿を見せた。一人は、昨日廊下でぶつかったあの生徒
だ。中学生と変わらないくらい小さな身体に、すこし大きめなブレザーを着て
いる。長めの髪の毛は、今日もポニーテールに纏めてあった。
 「絶対そのロッカー使ってる人に勘違いされるよ!?」
 大きな声で話すもう一人の女子は、見覚えがあった。陸上部の後輩、橘だ。
とはいえ、いつも男女別々で行動している陸上部では、挨拶を交わす程度なの
だが。
 「で、でも、泉先輩は本当に足速くなったって言ってたし・・・。」
 「偶然だよ!偶然!」
 二人は話を続けながら、橋本の前を通りかかった。
 「あ・・・。お、おはようございます。」
 大声で話していたのが気まずかったのか、声をか細くして後輩の橘は挨拶を
してきた。
 「お、おはよう。」
 気まずいのは、橋本も同じだった。きごちなく挨拶を返しながら、ちらりと
隣にいる女子生徒を見る。桜と呼ばれていた女子生徒は、昨日のことを覚えて
いるのかいないのか、ぎこちない愛想笑いをしていた。
 「じゃあ、また部活で。」
 橘は橋本にそう告げ、再び歩き出した。桜も、橘の後ろについて、歩いて行
った。

 三年二組の石田先輩が好きです。告白が、成功しますように。
                                                   一年二組 並木 桜
                                                                     
                                   
 ロッカーに入れられた手紙には、小さな文字でそう書かれていた。さっきの
女子生徒が掻いたとみて、間違いないだろう。入学して間もない一年生まで知
っているとなると、橋本が知らなかっただけで「ロッカーの神様」は意外にも
有名な噂なのかもしれない。
 しかし・・・、告白の手伝いなんて、どうやってすればいいのだろうか。橋
本自身、告白の経験はない。陸上の練習と違って、勝手がわからない。それ
に、三年二組の石田と言えば・・・
 「あっれー?そこにいるのは橋本君じゃないかいっ!?」
 「あ・・・。」
 ニヤニヤと笑顔を浮かべながら、泉が近づいてきた。
 「珍しいねー。初々しい一年生の空間にいるなんてっ。」
 「ちょっ、ちょっと用があってさ・・・。泉こそ、なんで四階にいるの?」
 「私?ちょっと後輩に連絡することがあってね~。」
 
 キーンコーン。
 
 「あ、もうこんな時間か!教室行こう、橋本君。」
 「う、うん。そんな押さなくても行くよ・・・。」
 グイグイと泉に背中を押されながら、橋本は階段を下った。

 「なに?二人仲良く登校?あんたらそんな仲だっけ?」
 一組の教室に入るなり、冷たい目で睨みながら松井が釘を刺してきた。
 「違うよ、たまたま廊下で会っただけで・・・。」
 「羨ましいかい千秋ちゃん!?」
 「そんなわけ無いでしょ、彩花。」
 泉の陸上練習を一緒に手伝ってから、橋本は松井と泉の二人とよく話をする
ようになった。松井が発していた近寄りがたい雰囲気も、最近は少しだけ和ら
いだ気がする。もっとも、松井の毒舌ぶりは相変わらずだし、泉のハイテンシ
ョンも落ち着く気配がないので、言葉のキャッチボールが出来ているかと言え
ば疑問符がつくのだが。
 しかし、二人で教室に入ってきただけでも、端から見れば恋人のように見え
るのだろうか。俗にいう美少女である泉と恋人に見られるのは悪い気はしな
い。誰かと付き合いたいなどとあまり考えたことがなかったが、泉のような女
子が恋人なら、毎日楽しく過ごせる気がする。
 「なに気持ち悪い顔してんのよ。」
 ぼーっとしていた意識が、松井の声で覚めた。さっきよりも冷たい目で、じ
っと睨まれている。
 「へ?えっと、俺そんな変な顔してたかな。」
 「アホみたいな顔して、ぼーっとしてんじゃないわよ。」
 松井の声は、何故かいつもより荒っぽかった。

 キーンコーン。
 
 「はい、じゃあ終わりにしよう。」
 聞き慣れた鐘の音が教室に響き、四時間目の授業が終わった。静かだった教
室が一気に騒がしくなる。待ちわびたように弁当箱を開ける者。机を動かして
仲間との食事の準備をする者。食堂へと走り出す者。そんな喧噪を縫うように
抜け出し、橋本は三年二組の教室へと向かった。
 やはり騒がしい二組の教室に、まだ石田はいた。
 「石田。」
 声をかけると、石田は鞄の中を漁る手は止めず、橋本を見た。
 「どうした橋本。」
 「一緒にお昼食べない?」
 「・・・まあ、いいけど。」
 「いつも石田って中庭で食べてるよね?そこ行こうよ。」
 「ああ。」
 二人は弁当を片手に、中庭へと出た。橋本は幾つかあるベンチの一つに座
り、弁当を広げた。石田も橋本の隣に座り、黙って弁当を開ける。
 何か聞くことがあるだろ・・・、と橋本は心の中で文句を言った。石田はい
つも、これでもかと言うほど無干渉だ。俺が石田の立場なら、「何か用?」く
らいのことは、気になって質問している。けれど石田は、黙って弁当をつつい
ている。こいつには関心というものはないのだろうか。
 橋本が石田をお昼に誘ったのには勿論理由がある。石田の恋愛事情を聞き出
すためだ。何を隠そう、昨日投函された手紙に書いてある「三年二組の石田先
輩」こそ、今、橋本の隣にいる陸上部部長、石田その人なのだ。二組に他に石
田という名字の生徒はいないので、間違いない。こんな無愛想な人のどこに惹
かれたのか、橋本にはわからない。しかし告白の相手が石田なら、身近な人物
として橋本も告白の手助けが出来るかもしれない。
 そう、今回も橋本は、「ノート」に従って、手紙に書かれた願いを叶えてあ
げることにしたのだ。それは手紙の中身が、告白の結果には言及されていない
こと、そして告白の相手が友人の石田であることも後押ししている。この条件
ならば、橋本でも願いを叶えてあげることが出来るだろう。けれど、何より橋
本の背中を押したのは、泉の願いが叶ったときに感じた達成感だ。最初はどう
なることかと思ったが、終わってみれば泉は授業でいいタイムを残し、松井と
も打ち解け、思いの外素晴らしい結果になった。あの達成感を、また味わいた
い。それが、「ロッカーの神様」を続けることにした理由だった。
 「なあ石田。」
 「ん?」
 「石田って、彼女とかいないの?」
 「いないな。」
 卵焼きを食べながら石田は答えた。
 「じゃあ・・・、好きな人はいる?」
 「いない。」
 「そう・・・。」
 橋本は一度話を切り、唐揚げを口に放り込んだ。石田は黙々と弁当をつつい
ている。恋愛にも、興味がないということなのか。
 「石田はさ、恋愛に興味ないの?」
 「ああ、興味ないな。」
 「なんで?」
 「何でって、めんどくさいだろ。」
 きっぱりと、石田は答えた。

 ・・・めんどくさい、か・・・。

 どうやら告白が成功することは無さそうだと、橋本は思った。

 

衝動的掌編№1 ダイイング・メッセージ

 「どうして万引きなんてしたんだ?」
 「・・・。」
 机を挟み、目の前のパイプ椅子に座る少女は、私の問いに俯きながら押し黙
っていた。机の上には、小さな梅ガムが一つ、ころんと転がっている。
 「どうして、ガムだけ万引きしたんだ。他の商品は、ちゃんと会計してるじ
ゃないか。」
 私は彼女が持っていたレシートを見た。卵ボーロ、スルメイカのおつまみ、
蛍光ペン、手鏡。細いがしっかりとした印字で商品名が書かれている中、そこ
に梅ガムの文字はなかった。
 「お金、持っているんだろう?ちゃんと払えば、こうやって引き留められる
こともなかったぞ。」
 「お財布の中を見たら、ガムの分だけ無かったの。」
 少女のか細い声が、殺風景な事務所に響いた。
 「だからって、万引きしていい理由にはならないんだよ。」
 私は出来るだけ、優しい声になるよう気をつけながら、少女を諭した。
 「ごめんなさい。」
 少女の声は、更にか細くなって、今にも消え入りそうだった。
 「ちゃんと今日のことは、しっかり反省しなさい。」
 
 ガチャン。
  
 「店長。警察の方、到着しましたけど、事務所に入ってもらっていいです
か?」
 「ああ、そのことなんだけど、帰ってもらって。」
 「え?」
 「俺の勘違いだった。この女の子、たまたま服が引っかかって、鞄の中に入
れちゃっただけみたい。」
 「そ、そうなんですか?」
 「うん。防犯カメラ見直したから、間違いないよ。」
 「わかりました。じゃあそう伝えてきます。」
 
 ガチャン。

 「何か困ったことがあるなら、何でも私に言いなさい。きっと、力になって
あげられるから。」
 「・・・!ありがとうございます。今日は帰ります。おじさんのお陰で、ち
ょっとだけ、元気でたから・・・!」
 少女は顔を上げ、鼻をすすりながらも、はっきりと答えた。

 

 「警察の人に怒られちゃいましたよ~。店長、勘違いはもうしないでくださ
いね?」
 「わかってるよ。」
 私はうわの空で答えながら、少女の身を案じていた。事情は私にはわからな
い。けれど、私は少女が最後に出した、あの答えを信じたい。
 
 そう思いながら私は、縦読みで「たすけて」と読んだレシートを、自分の財
布にしまうのだった。 

短編№2 ロッカー番号二十番の神様⑨

「四分五十五分!」
 大山田の野太い声が、千秋の走破タイムを伝えた。
 「水飲んできます。」
相変わらず千秋のタイムを見てざわつく男子生徒をよそに、千秋は水道のある
グラウンドの隅へと歩き出した。
 中々調子が出てこない。予選が近づく中、千秋は焦っていた。毎日欠かさず
走り込みをし、筋トレもしている。練習量は、去年より増えている。なのに、
努力が結果に結びついてこないのだ。
 こんな時、的確なアドバイスをくれるコーチがほしい。だがこの高校には、
陸上競技に精通した先生など一人もいない。一人でなんとかするしかないの
だ。今だけは、顧問がちゃんと指導してくれる部活が羨ましく思う。
 いつもの練習は見ていなくてもいいから、相談した時だけアドバイスをくれ
ればいい。そんなコーチが、千秋は欲しかった。
 「千秋ちゃーん!!!」
後ろから突然彩花がぶつかってきて、千秋は水道の水を盛大に顔にかけてしま
った。
 「な、なに!?どうしたのよ彩花・・・って、もうゴールしたの!?」
 「うん!千秋ちゃんのおかげだよ~!」
 グラウンドに目を向けると、まだ何人かの女子がバタバタとトラックを周回
していた。つい最近まで、あいつらより、彩花は遅かったはず・・・。
 「なにぼーっとしてるのさっ!」
 「彩花、あんた、タイムは?」
 「五分五十八秒だよ!」
 千秋は思わず目を見開いた。
 「私と一分しか変わらないじゃん・・・。」
 「いやいや、千秋ちゃん速すぎて追いつけなかったよー。」
 「充分速いって。クラスの女子、殆ど抜いたでしょ。」
 「うん!確か、順位は三番か四番だった!これで赤点は回避成功出来たでし
ょ!」
 「う、うん、そうね。」
 ・・・あんな、ちょっとフォームを直しただけの練習で、ここまで速くなる
なんて・・・
 満面の笑みを浮かべながらガッツポーズをする彩花が、千秋は少しだけ怖く
感じた。
 「ほら、千秋ちゃん戻るよっ。また先生に怒られちゃう前にっ。

 「わかったから服を引っ張るなっ。」
 グラウンドの中央に引き返すと、大山田がこちらを見ているのがわかった。
 「おい。」
 「なんでしょうか?声かけてから水道に行きましたが。」
 「松井じゃない。泉だ。」
 「なんですかー?」」
 「お前、いつの間に速くなったんだ?」
 「練習したんですよー!千秋ちゃんと、そこにいる橋本君が指導してくれま
した!」
 「・・・お前らが?」
 大山田はよほど不思議に思ったのか、怪訝な顔つきで千秋と橋本を交互に見
た。
 「・・・友人の頼みだったので。不思議でしょうか?」
 「ちょっと千秋ちゃん!そこは友人じゃなくて親友でしょ!?」
 泉の不可解なツッコミを無視しながら千秋は大山田に食ってかかったが、橋
本は目を逸らしつつ不出来な微笑みを作るだけだった。
 「・・・無茶なことはするなよ。・・・男子!スタートラインに着け!」
 珍しく大山田の方から引き下がり、男子を集合させた。ぞろぞろと男子がス
タートラインに向け歩く中、橋本だけが立ち止まり、こちらを見た。
 
 「よかったな。」
 
 「ねえ千秋ちゃん!私達親友だよねっ!?泣くよ?私泣いちゃいます
よ!?」

 ゆさゆさと身体を揺らしてくる彩花を無視しながら、千秋はスタートラインに出来た集団へと消えていく橋本をじっと見ていた。

 泉のタイムに向けて言ったものなのか、大山田に怒られなかったことを言っ
ているのかはわからなかったが、橋本の控えめな賛辞は、
 
 何故かとても、嬉しかった。

短編№2 ッカー番号二十番の神様⑧

   「よしっ!準備オッケー!!」
 「駄目、もう少し真面目に準備体操してよ。怪我したら大変なんだから。」
 「ごめんごめんっ!今日は宜しくね、千秋コーチ!」
 「・・・まあ、程々に頑張ろ。」
 いつものランニングウエアを着た松井と、放課後の校庭では浮いて見える体育着を着た泉が、ランニング前の準備体操をしている。それを少し離れた所で見ながら、橋本は石田と共に準備体操をしていた。
 「今日も自主練だってよ。」
 「うん。だと思った。」
 そうでなければ、と橋本は思う。そうでなければ、陸上部員ではない泉の参加は認められないだろう。まさかこんな形で、自主練が功を奏するとは思っても見なかったのだが。 

   「橋本ぉ。」
 「ん?」
 「なんでこんなことするんだ?」
 顔も向けずに、石田が聞いてきた。普段あれだけ干渉してこない石田が質問してくるほど、今日の部活動は不自然なものなのだろう。
 「・・・なんとなく、かな。」
 本心から橋本はポツリと言った。正直なところ、自分でもわからないのだ。ロッカーの神様なんて、別にしなくてもいいのだ。自分からお節介をしに不自然な行動をする必要なんて、しなくてもいいのだ。
 強いて理由をつけるのならば、「ノート」に書いてある通り、自分がお節介を書いた先に本当に幸せが待っているのか、少しだけ興味がある・・・、というくらいだろうか。
 「まあ、別に俺には関係ないけどよ。」
 石田はそう言ったきり、喋るのを止めた。

 

   男子部員は石田、女子部員は倉本が練習を指揮することになり、二人はそれぞれ部員を引き連れ、グラウンドの端に移動していった。それまで十数人いた部員がごっそりいなくなり、その場に残ったのは橋本と松井だけだ。
 「よしっ!じゃあ練習始めよーかっ!?」
 一気に重たくなった空気を押しのけるように、泉が大きな声を上げた。
 「・・・それじゃ、とりあえず外周走しよ。」
 「はい!松井コーチ!」
 もう一人のコーチである筈の橋本には目もくれず、松井は走り出した。それを追うようにして後ろを泉がついて行く。橋本も泉の後ろについて走り出した。
 松井が刻むペースは、いつもとは段違いに遅かった。泉に気を遣っているのがよく分かる。
 

    ・・・普段から、今みたいに気を遣ってくれたら、もう少し気軽に話せるのになあ。

 松井を追う泉は、バタバタとぎこちなく走っていて、既に息遣いが荒くなっているようだった。松井も泉の息遣いが聞こえるのか、時々後ろを振り返りながら走っている。ペースも更に遅くなった。早歩きでも追いつくのではないのかというぐらいのスピードだ。大袈裟に気を遣う松井の姿は、まるで新米の教師のようだった。
 
 普段の倍ほどの時間をかけ、三人は外周走を終えた。
 「ふー。やっぱり走ると疲れるねー!」
 やはり大袈裟な声をあげて、泉はグラウンドの横にある駐車場で腰を下ろした。
 「彩花。ペース速かった?」
 泉を気にする松井の息遣いは、走る前と殆ど変わっていない。
 「うーん、少しだけ。でもさ、きつい練習じゃないと速くならないでしょ!」
 「まあそうだけど・・・。」
 「橋本コーチもそう思うでしょ!?」
 「えっ、う、うん。そう思うよ。」
  唐突に話を振られ、橋本はあたふたした。
 「やっぱりねー。でも、頑張るよ私!体育の赤点回避のために!」
 「・・・それじゃあ、とりあえず一回タイム計ってみよっか。トラック一周でいいから。今彩花がどれくらいで走れるか計っておこうよ。」
 「分かりましたコーチ!」

 「・・・スタート!」
 松井の合図と共に、泉は走り出した。相変わらずバタバタと走りがぎこちない。これでは、良いタイムは期待できそうもない。
 「橋本。」
 隣に少し離れて立つ松井に声をかけられた。
 「なんでしょう?」
 

   「なんでこんなことするの?」
 

   こちらを見向きもせず、早口で松井は質問してきた。その口調は、石田とはまた違う、何かを探っているような気配がした。
 
 ・・・もしかして、俺の正体を知っている・・・?

 

    橋本は背中に冷や汗が流れるのを感じていた。松井は、橋本がロッカーの神様を演じていることを知っているのかもしれない。よく考えれば、泉がロッカーに手紙を入れたことを知っている可能性は、友人である松井には充分にあり得る。そして手紙の内容を知っているのなら、不自然に近づいてきた出席番号二十番の橋本を疑うのは、至極当然の事だろう。
 どうしよう。バラしてしまおうか。変なノートを拾って、そのノートに従っただけだと。不気味でノートに逆らったら呪われそうだった、とでも言えば、少しは納得してくれる筈。でも・・・
 

    「うーん、何となく、かな。」
 口から出た言葉は、真実を濁しただけだった。

 

    「ゴール!千秋ちゃん、タイムはっ!?」
 気づけば、泉がトラックを一周して帰ってきていた。
 「あっ、ごめん彩花。タイム計るの忘れてた。」
 「えー!?コーチしっかりしてよぉ。」
 「ごめん。」
 「じゃあ、橋本コーチ!私の走りはどうでしたか!?」
 またも急に話をふられ、あたふたする。けれど橋本は一つ、気になったことがあった。 「えっと、フォームがぎこちないように見えるんだよね・・・。だからまずは、ゆっくりでいいからフォームを綺麗に保ったまま走るように練習したらどうかな?」
 横から松井の視線を感じたが、橋本の提案に反対ではないようだった。
 「わかりました橋本コーチ!綺麗なフォームを習得すべく、頑張ります!」
 やたらテンションの高いまま、泉はそう宣言をした。

短編№2 ロッカー番号二十番の神様⑦

   「千秋ちゃーん!」
  着替えを終えて更衣室を出ると、校舎の方から名前を呼ばれた。
    あれ、彩花もまだ学校いたんだ。」
 「今日は生徒会があったからね!」
 千秋の元に駆け寄ってきた彩花は、親指をわざとらしく立てて決めポーズをとった。
 「・・・彩花は毎日楽しそうだね。」
 「え!?そうかなー?でも、そうかもねー!!」
 彩花の全く主語のない返事からも、楽しげな雰囲気が伝わってくる。
 

   ・・・私は今、アンタの話題でモヤモヤしてんのに。
   千秋は少し苛立ちを覚えながらも、彩花と共に校門に向けて歩き出した。
 

   すると校門へ続く道の端に、橋本が一人たたずんでいるのが見えた。
 「あ、あの、松井さんっ・・・と、泉さん。」
 千秋は呼びかけられても無視をして通り過ぎる気でいたのだが、橋本が彩花にまで声をかけたのは予想外だった。そんなに勇気のある奴だとは思っていなかったからだ。
 「んー?何かね橋本君っ!」
 彩花は妙に高いテンションのまま返事をした。殆ど話したことのない人でも対応が変わらないのは、彩花の凄いところだ。
 「えっと、そのっ」
 橋本はごにょごにょと何か言いたげだったが、緊張からか上手く喋れないようだった。 

   「・・・彩花。行こう。こいつ面倒くさいから。」
  千秋はそう吐き捨てた。橋本が面倒というよりは、橋本が言おうとしていることが面倒なのだ。

    千秋は彩花の袖口を引っ張った。けれど彩花はぴくりとも動かない。それどころか、懸命に足を踏ん張っている。
 「千秋ちゃんっ!人の話は聞かないと駄目だよー!」
 「・・・あ?」
   つい反射的に千秋は、彩花を睨んだ。

   すると彩花も、千秋の目を真っ直ぐ見て睨んだ。 

    ・・・そうだ。彩花が人当たりがよく見えるのは、逃げないからなのか。
 千秋がそんな感想を持ち、彩花を引っ張る手を緩めた時。
 

   「一緒に三人で、走りませんか?」
 橋本が弱々しい声で、提案した。

短編№2 ロッカー番号二十番の神様⑥

  「倉本。二年と一年連れて先にトラック走ってて。周回数は任せる。それが終わったら自主練してて。」
 「はいっ!」
 松井に指示を出された二年生部員の倉本は、まるで将軍に命令されたかのように緊張がこもった短い返事をし、部員達をトラックへと先導していった。
 「・・・で?」
 「えっ・・・」
 「何か話があるんでしょ?」
 未だ声色が丸みを帯びない松井の言い方は、生徒が謝りに来たことを知りながら話を促す教師のようだった。
 「えっと・・・、松井さんってさ、泉さんと仲良いよね?」
 「・・・それがなに?」
 「いやあ・・・、泉さんって、なんであんなに足遅いのかなって・・・。」
 恐る恐る橋本が本題に近づけていくと、松井の表情が更に冷たくなった。
 「彩花に直接聞けば?」
 「いやまあ、それはごもっともなんだけど・・・。」
 橋本が言葉を濁していると、佐藤に呼ばれていた石田が戻ってきた。
 「今日も自主練だってよ。」
 抑揚のない言い回しで石田が報告をした。これで陸上部は一週間連続で自主練だ。だが、例え佐藤がいても何かを教えてくれるわけでもないので、部活動に支障はないのだが。 

 「わかった。じゃ、橋本。私も後輩に合流するから。さっきの話は彩花に直接して。」 

  石田からの報告を受けると、松井はそう言ってトラックの方へ行ってしまった。
 「橋本、俺らも練習するぞ。」
 「・・・おう。」
 松井の協力は得られそうにない。橋本はそう諦めて、ストレッチを始めた。
 

 既にトラックを周回していた後輩部員の一番後ろで、千秋は走り始めた。
 
 ・・・泉さんって、なんであんなに足遅いのかなって・・・

 橋本の言った言葉が、頭の中でリピートされている。どうやら、当たって欲しくなかった予想が、当たってしまったようだ。
 
 橋本は、彩花の手紙を読んだのだ。

 

   彩花が手紙を二十番目のロッカーに入れた日の放課後、陸上部の活動が終わり、千秋は出席番号二十番の男子を逃がすまいと慌ただしく着替えていた。
 教室にあった出席簿で、千秋はその男子の名前を見た。そして幸か不幸か、その名前は千秋もよく知っている男子の名前だったのだ。
 制服以外での登下校を禁ずるという校則を恨めしく思いながらも、彩花は素早く格好を整えて更衣室を出た。外に出ると、丁度薄汚れた部室の前で目的の男子と陸上部部長の石田が話をしているところだった。近寄っていくと、男子は校舎の方へと歩き出した。それを見て千秋は、思わず声を出していた。
 「おい。」
 自分の声が女子とは思えないほどの低音で出たことに驚きつつ、千秋は男子生徒を見た。
 「・・・はい、何でしょう松井さん。」
 千秋の声に、橋本はビクリと目に映るくらいに身体を震わせ、振り向いた。

    こいつとは一年生の頃から同じ陸上部の仲間だが、未だに警戒感と恐怖を抱かれていることに千秋はすっかり閉口している。
 「数学に宿題なんか出てないぞ。」
 千秋は橋本の嘘を問いただした。数学の宿題が出てないことは確かだ。おおかた他クラスの石田ならば騙せると踏んでの嘘だったのだろう。
 嘘がばれた橋本は困惑の表情を浮かべたが、直ぐに口を開いた。
 「そうだっけ?ま、まぁ、俺は数学苦手だし、テストに向けて予習しとかないと赤点貰っちゃうからね。ちょっと取りに行ってくるわ。」
 そう言うと、そそくさと教室がある校舎に向かってしまった。
 千秋は、橋本を追うべきか迷っていた。千秋には、今すぐにでも橋本に確認したいことがあったのだ。

 

    ロッカーの神様は、橋本なのではないか、と。

 

    何故、願いを入れる手紙が二十番のロッカーなのか。彩花に聞いた限りそこには明確な理由がない。おまけに叶う願いは一ヶ月に一つだけ、それも必ず叶うわけではないなんて、そんな注意事項が書かれた神様、そもそもいるかどうか怪しいところだ。でも・・・、

 これが橋本の自作自演なら、腑に落ちるのだ。
 
 なんのためかは知らないが、橋本が自分でロッカーの神様を演じ、噂を流した。それをどういった経路かは知らないが彩花の姉が聞きつけ、妹の彩花の耳に入った・・・。
 多少無理があるが、充分にあり得る仮説だと千秋は考えていた。もし千秋の推理が正しければ、橋本は願いが書かれた手紙を取りに、見え透いた嘘までついて教室に向かったということだ。
 ・・・なぜ、そんなお節介を、橋本はしているのだろう。千秋は気になっていた。それにお節介をするにしても、わざわざ神様を模す必要は無かったと思う。困っている人を探して、助けてやれば良い。その行動が半ば変質者であることを理解しながらも、千秋はそう思っていた。
 充分に橋本との距離が離れたのを確認して、千秋も校舎に向かって歩き出した。何故ロッカーの神様をしているのか橋本を問いただすには、もう少し確証が欲しい。手紙を手に取ってバックにでもしまうところを見られれば、確かな証拠になる。何故なら・・・、彩花が手紙を入れた時、橋本のロッカーの中は空だったのだ。そこに教科書など入ってはいないことを橋本は知っている筈だ。恐らくは、手紙を入れに来た生徒がある種の神秘的な感想を抱くように、空にしているのだろう。千秋にしても、教科書やノートで溢れたロッカーより、何も入っていない綺麗なロッカーの方がそこに神様がいるように思える。
 事件の現場を押さえてやろう・・・。そんな刑事のような心持ちで橋本を追おうと歩みを早めた。その時。
 「ま、松井先輩!」
 後ろから聞き覚えのある声に呼び止められた。思わず振り向くと、倉本が直立不動で突っ立っていた。
 「もし良かったら・・・、一緒に帰りませんか?」
 目線を泳がせながら、倉本は言った。洒落たボブの髪型が、風になびいている。前髪はピンクの小さい花が一つ付いた髪留めでまとめてあった。地味な黒の髪留めしか持っていない千秋には、少し羨ましく見えた。
 「お話したいことがありまして、もし先輩がいいなら・・・。」
 段々と声を小さくしながら、倉本は千秋を誘った。千秋は倉本には返事をせず、校舎の方に目をやった。視界に捉えていた橋本は、もう見えなくなっていた。今から追いかけても、橋本が手紙を手に取る現場は見えないだろう。
 「わかった。じゃあ一緒に帰ろう。」
 「あ、ありがとうございます・・・!」
 返事を返すと、倉本は嬉しそうに笑った。

 

    「それで、話ってなに?」
 校舎から最寄りの駅まで続く一本道を、千秋は倉本と一緒に歩いていた。
 「えっと・・・」
 倉本はさっきからずっと言葉を濁している。部活ではハキハキと受け答えをするし、大会では思い切ったレース運びをするタイプなのに、陸上を離れるとこうも違うのか。煮え切らない倉本の態度に、千秋は苛立っていた。
 「ハッキリ喋ってよ。話したいことがあるんでしょ?」
 「えっと、じゃ、じゃあ、速く走るコツって何ですか。」
 「・・・わざわざ私を呼び止めておいて、聞きたかったことって、それだけ?」
 拍子抜けをするような質問に、即座に千秋は答えにならない返事を返した。自分でも、苛立ちが籠もった言い方をしたと思う。けれど実際に私は苛立っているんだから、それを隠す意味なんてない。
 「ロッカーにでも聞いてみたら?じゃあね。」
 千秋は倉本にそう言い捨て、わざと道を曲がった。倉本は、後を追っては来なかった。
 

    倉本に呼び止められていなければ、疑問を消し飛ばす重要な場面を見られたかもしれないのにと千秋は悶々としていたのだが、今日仮説は立証されたと言って良い。橋本は彩花の手紙を読んだのだ。橋本は・・・何故かは知らないが・・・、ロッカーの神様を演じている。 

 

 「松井先輩っ!」
 不意に思考の外側から言葉をぶつけられて、千秋は我に返った。気がつくと後輩の面々は周回を終え、グラウンドの中央に集まっていた。千秋一人だけが、トラックを走っていたのだ。
 「どうしたんですか?まだ走りますか?」
 千秋を心配してか、倉本が駆け寄ってきた。月初めの日の後も倉本は毎日部活に顔を出し、千秋にもいつもと変わらずハキハキと会話をしている。
 本心では私の事をどう思っているのだろう。やっぱり怖くて、逆らえない先輩だとけむたがっているのだろうか。けれど、たとえそう思っていたとしても表に出さず会話をする倉本を、千秋は少し尊敬していた。そんな事は、私には到底出来ない。
 「ごめん。考え事してただけ。」
 本心から千秋は返答をし、後輩の輪の中に向かった。 

短編№2 ロッカー番号二十番の神様⑤

 固く結んだ筈の靴紐が解けてしまい、橋本は走るのを一旦止めた。車道から狭い歩道に入り、しゃがんで靴紐を結び直す。すぐ前を走っていた石田は、もうこの先に見える曲がり角を曲がり、見えなくなっている。橋本は立ち上がると太ともに檄を飛ばすようにパンっと一回叩き、再び走り出した。
 今まで何度となく走ってきた、陸上部お馴染みの校舎外周走だが、ここまで調子の出ない日は今まで無かった。いつもは石田の後ろから離れることは無いのだが、今日はペースが遅くなって石田から離れると、気合いを入れてもう一度追いつくといった事を何回も繰り返しているのだ。
 もう一度石田に追いつこうとピッチを上げながら、橋本は軽くため息をついた。ペースが乱れている原因は、何となく分かっている。
 
 あの手紙のせいだ。
 
 手紙の内容は、拍子抜けするほど幼稚な内容だった。
 可愛らしい小さな文字で書かれていたのは、足が速くなりますように、と言う一行だけの短い文章と、
 三年一組 泉 彩花
という名前だけだった。

 泉彩花という人物は、校内では結構な有名人だろう。その可憐な容姿は、廊下ですれ違う男子がつい二度見をしようと振り返ってしまう程だ。性格も明るく社交的で、交友関係も広いようだった。その証拠に、彼女の周りには常に誰かがいる。
 橋本は、彼女の願いを叶えるために、その広い交友関係を利用しようと考えていた。橋本が直接彼女と走る練習をするのがいいとは思うが、今まで話をしたこともない彼女に突然近づけば、間違いなく怪しまれる。何よりナンパをしているようで、恥ずかしい。その点友人を通して近づけば怪しくはない。自然に走りの練習に持って行ける・・・筈だ。
 今回の願いは、陸上部である橋本にはうってつけのものに見えた。陸上部でも特別足が速いわけでもなく、大会でもろくな成績を残したこともないが、それでも他の部の連中には負けない自負がある。また橋本もそうであったように、身体に何らかの病気を抱えていない限りは、練習・・・つまり毎日走り込みをすれば、ある程度足は速くなるのだ。
 
 「今日お前遅すぎ。ちゃんと走れよ。」
 ゴールの目印である時計台の前まで来ると、先にゴールしていた石田に注意をされた。 「ああ、ごめん。ちょっと調子出なくてね・・・」
 言い訳をしながら、橋本はグラウンドの方へ目を向けた。数人の女子陸上部員がストレッチをしている。その輪の中に、高橋のペースを乱す要因となった生徒がいた。
 「おーい、石田ぁ。」
 校舎の方から、陸上部の顧問である佐藤の声がした。
 「・・・めんどくせえな。橋本。先にグラウンド行ってて。」
 「わかった。」
 石田が校舎の方向に歩いて行くのを見て、橋本もグラウンドへ歩き出した。女子部員の面々はストレッチを終え、集団でグラウンドに敷かれた白線のトラックを走ろうと集まっていた。その中の一人に、橋本は声をかけようと決めていた。泉彩花と仲がよく、橋本と彼女との仲介役に適任な・・・けれど・・・、橋本が苦手な人物。
 「・・・松井さん。ちょっといいかな?」
 「・・・ああ?」
 敵意に満ちた松井の返事は、橋本を更に緊張させた。