トマト在住の青年による執筆活動

短編の小説を書いていきます。不定期・自己ベスト更新です。たまーに自分勝手な記事も書きます。

短編№1 拝啓、白猫より③

 

 クロが死んでから一ヶ月が過ぎた。あれから何度か、自殺未遂をした。飛び降りをするためにマンションの屋上に立ったりもしたが、身体が躊躇してフラフラとしている間に人に見つかり、その時は無言で逃げ帰った。
 季節は秋から、冬を迎えようとしている。風は日に日に冷たくなってきて、灰色の厚い雲が空にかかる度、天気予報士が初雪を唱えている。
 雪が降る前に死にたい。寒さは僕の決意を削ぎそうな気がするからだ。クロを先に死なせてしまった以上、後戻りはしたくない。僕は変化を求めているんだ。惰性でこの世界の奴隷にはならない。
 スマートフォンで近所の地図を見る。実は、前から目を付けていた建物がある。それは街の外れにある廃ビルで、周りに人気のある建物はないし、ビルの裏は森で、自殺をするにはもってこいのように思えた。ここで決着をつけよう。そして、新しい世界に旅立つんだ。
 青いコートを来て外に出た。それは分厚い雲が覆っている。ぴゅうっと音を立てるような風が首元を掠める。マフラーをしてくれば良かった。
 廃ビルへと向かい、商店街を歩いた。丁度夕方の買い物時なのか、夕飯の食材を買うおばさんで賑わっている。
 そういえば、今日はちゃんとしたご飯を食べていなかった。昼、起き抜けに命を繋ぐだけの目的でカロリーメイトを口にしただけだ。お肉屋のショウケースに鎮座するコロッケが視界に入る。急にお腹が減ってきた。・・・仕方ない。
 「すいません。コロッケを一つ下さい。」
 「はーい。八十円でーす。」
 目の前に立つおばさんは、慣れた様子でコロッケを小さな紙袋に入れた。
 「このままでいいかい?」
 「はい。」
 コロッケを受け取る。ほかほかとした暖かさが冷たく悴んだ手を溶かしていく。
 「ねえお兄さん。もしかして有田さん家の子かい?」
 不意に、おばさんはそんなことを言ってきた。
 「・・・はい。そうですが・・・?」
 「まあ、やっぱり!大きくなったわねー。小さい頃、お母さんと一緒に来てくれてたわよね-?」
 おばさんは懐かしがったが、僕はあまり覚えていなかった。けれど確かに、母さんと一緒にこの商店街には来ていた気がする。
 「お母さんに宜しくね!」
 店を後にするとき、おばさんはそう言って手を振っていた。こんなたわいもない出来事が、僕が自殺した後で後日談として語られるのだろうか。
 「確かに、ちょっと考え込んでる雰囲気だったわねー。」
 などと脚色して、昼間の井戸端会議で取り上げられるのかもしれない。
 コロッケを口に入れる。大したことのない平凡なコロッケの味に、僕も結局懐かしさを覚えてしまった。別に特別美味しいわけではないのだ。それなのに、もう一つ買っておけば良かったと後悔してしまうほど、僕はこの味に飢えた。身体の底の方から、小さい頃から渇望したものが込み上げてくるような気がした。

 ・・・思い出した。仕事で忙しく、中々帰って来ない父さんが夕飯を家で食べる日、母さんと僕はいつも、あのお肉屋さんでコロッケを買っていた。料理上手で、いつもは総菜を買うことがない母さんが、その日だけは人数分のコロッケを買っていた。普段より豪勢な夕飯に比べて見劣りするコロッケを父さんは
 「またこのコロッケか。」
 と言いつつ僕より一つ多く平らげていた。そして、滅多に笑わない父さんが、夕飯の時だけ微かに微笑むのを、僕は今ありありと思い出したのだ。
 月に一回あるかどうかの三人で囲む夕飯を、僕は楽しみにしていた。その時だけは、冷たくて重い家の空気が、ふわっと軽くなったからだ。食卓を三人で囲む短い時間、僕は幸せだった。暖かい家庭がそこには確かにあったのだ。けれど、父さんが死んで、それはもう無くなってしまった。僕は父さんが嫌いだったけれど、あの食卓には父さんが必要だった。父さんが微笑んでくれるから、母さん、そして僕が笑えたのだ。
 

 気づけばコロッケを持っていた手が濡れている。まさか、今更僕が父さんのことで泣くとは。そんな思いとは関係なく、涙が一粒、また一粒と落ちてくる。

 落ち着け。

 こんな道の真ん中で泣いていたら目立ってしまう。もし不審がられて警官に止められでもしたら面倒だ。僕は歩く速度を速めた。その時。
 

 「・・・祐介?」

  後ろの方で、母さんの声がした。疑問符に満ちた声のせいなのか、金縛りにあったかのように身体が止まった。今、振り返れば、目的の廃ビルに行くのが面倒になる。廃ビルに向かうなら、今すぐにでも駆けだして母さんを振り切らなければならない。いわば僕にとって、この状況は三途の川だ。走って振り切れば、僕はこの世界を旅立てる。振り返れば、旅立つことは出来ない。母さん、僕は・・・
 「どうしたの祐介?こんな所で・・・。」
 母さんの声が近くなり、背中のすぐ後ろで聞こえた時、僕は全速力で駆け出した。後ろは少しも振り返らなかった。母さん。僕はもう耐えられないんだ。暖かさのない、この世界は。
 商店街を抜け、登り坂の一本道の先に目指す廃ビルが見えた。さっきまであれほどいた人も見なくなり、まばらにある建物も、明かりが見えるのは少ない。
 廃ビルの下に付く頃には、すっかり日が落ちて暗くなっていた。この辺りは街頭も少なく、目の前に立つビルもよく見えない。
 「ふん。自殺なんて。余程の贅沢者だな。」
 低くて太いその声は、しんとした空気を切り裂くように、だが静かに頭の中に入ってきた。
 「・・・誰だ・・・!」
 声の主を、身体を捻って探した。すると、ビルの後ろにある森の入り口に、ぎらりと光る二つの丸い目が、僕を睨んでいた。
 「こっちに来い。・・・まあ、別に来なくても、結局お前は森に入ることになるのだが、素直に来てくれると手間が省ける。」
 「お前は・・・何なんだ!なんで、僕が自殺するって知っているんだ!!」
 「大人しくついてきてくれれば、説明してやる。安心しろ・・・ちゃんと、殺してやるから。」
 そう言うと、目は森の方に向いたのか見えなくなった。そして、暗闇の中で、見覚えのあるシルエットが動いたような気がした。
 僕は、一体何を見ているんだ?生物の本能に逆らい続けて、ついに気が狂ったのか?落ち着け。そうだ。あいつは僕が殺したんだ。この手で。

 ・・・クロが、生きてるわけはないのだ。

 考えるな・・・!幻想を見るにはまだ早い。ここはまだ、よく知っている現実的で、非情な世界だ。
 けれど、思考を放棄しようとするほど、下り坂をゆっくりと、滑るように足が森へと動いた。足は止まらないどころか、少しずつ速く踏み出していく。固いコンクリートの上を歩いている筈なのに、その無機質な感触が足の裏に伝わってこない。まるで、操り人形のように上から糸で吊られ、宙を歩かされているようだ。さっき、あいつが言った言葉が頭の中で駆け巡った。僕は、何かに導かれ、森に入らされる。それは揺るぎない事実のようだ。・・・もう、いいや。どうせ後で死ぬことにしたんだ。最後の日ぐらい、幻想に身を埋めても良いだろう。
 森に足を踏み入れた時、上から冷たいものが落ちてきた。はらはらと、少しずつ、けれど途切れることはない。初雪だった。ますます幻想的になってきた。僕は思わず引きつった笑みを浮かべながら、森へと入った。

 

 雪が舞い落ちる森を歩く。

 離れて前を歩くあいつは、時々こっちを向いて、鋭い眼光で僕を睨む。そして、また前を向いて歩き出す。僕はただ、あいつの後を追った。
 ずいぶんと奥まで進んだ。すると、所狭しと立っていた木が無くなり、開けた場所に出た。広さは、テニスコート半面分といったところだろうか。そこには、短い薄茶色の枯れ草が生えてはいるものの、木は一本もなく、公園の広場のようだった。
 あいつは広場の真ん中で止まり、こっちを向いた。どうやらここに来いということらしい。その時、雲の切れ間から月が顔を出し、あいつの姿を照らした。そこには確かに、クロがいた。クロは特徴のない黒猫だったから、僕以外の人間では見分けが付かなかったと思う。でも、僕には分かるのだ。佇まい、醸し出す雰囲気、あいつの全てが、クロだと主張している。
 あいつの目の前に立った。あいつは、雲上人のような風格を漂わせたまま座り、僕をじっと見つめている。
 「クロ・・・だよね?」
 「お前の家では、そう呼ばれていたな。」                     
 クロはそう答えた。
 「・・・クロってそんな低い声してなかったよ?」
 僕は精一杯おどけて見せた。
 「疑うなら、今ここで高い声を出してやってもいいぞ。」
 「いや、大丈夫。お前はクロだ。なんとなくだけど、僕にはわかる。けど・・・」
 「なんで死んでいないのかって顔してるな。」
 クロは淡々と話を続ける。
 「簡単に説明すると、儂は確かにあの日お前に殺された。だが、儂は上の方々の力で、何度でも生き返ることが出来る。だからこうして、儂はまたお前の前に現れたというわけだ。」
 「・・・じゃあ、家の庭から生き返って出てきたってこと?」
 僕はクロが死んだ後、死体を家の庭に埋めていたのだ。
 「いや、肉体は上の方々が新たに作り、持ってきたものだ。魂は転用しているがな。」
 「え、じゃあ前のクロとは、肉体が違うって事?」
 「正確にはそうだが、上の方々は、どうやらお前のいうクロという猫を忠実に再現しているらしい。毛の一本すら同じだし、雰囲気とか、そういった感覚的な所もな。いわばクローンといったところか。」
 「ねえ、さっきから言ってる上の方々って何なんだ?」
 「神様だ。」
 クロはあっさりと答えた。
 「・・・神様って本当にいるんだ。」
 「ああ、いる。」
 クロは、あまりにも淡々と話をする。僕は聞きたいことが沢山あるのに、クロがあまり質問を受け付けていないようで、言葉を上手くひねり出すことが出来なかった。けれど、どうしても聞いておきたいことは、すっと口から出すことが出来た。
 「クロ、お前は何者なんだ?」
 「儂か。儂は神様の使いだ。」
 やはりクロは淡々と答えた。
 「何を頼まれているの?」
 「お前の死を見届けろと、言われている。」
 意味をよく理解出来なかった。ご大層に僕を森へと導き、幻想的な演出をしておいて、僕の死を見届けるだけ?
 「これからお前は、神様によって殺される。死因は心臓発作だ。儂は、お前の死をここで見届け、お前の魂を食らう。それが儂の役目だ。」
 ますます意味がわからない。魂を食らう?
 「それって意味あるの?その・・・、クロの役目さ。」
 「お前は、自分の運命を知っているか?」
 クロはまたしても淡々と、突拍子も無いことを言い出した。
 「・・・いや、知らない。」
 「運命は神様が決める。本当のお前の運命は、こんな所では死なない。まだまだ長生きする。」
 「待って。本当の運命って何。自殺をするのは僕の運命じゃないの?」
 「違う。全ての生物の運命を作る神様だが、自殺は生物のルールに反するとしてただの一回も組み込んだことがない。人間は運命に逆らって自殺をしようとするのだ。少しなら見逃してやったが、最近は自殺をする者が増えてきた。だから、神様は自殺をしようとする者の運命を変え、病死や事故死にすることにしたのだ。」
 「それで、もう一度逆らえないように見届け役として、クロがいるって事?」
 「儂がいるのは寧ろ、お前が死んだ後、罰を受けさせるためだ。」
 「罰があるの?」
 「自殺をしようとする者には、例外なく神様が罰を与える。お前の魂は罰として、死んだ後この黒猫の身体に入り、少しの間、猫の姿をし、この世界で生きて貰う。この世界から消えるのはその後だ。」
 「クロの身体に入って生きる?それが罰なの?」
 「ああ。ただし、今回は少し神様が凝ったようだ。お前はこの初雪に埋もれて真っ白な白猫に変わる。そして、雪が溶け春が顔を出した時、お前の白い身体は雪と同様に溶けて無くなる。勿論、魂もその時一緒にこの世界から消える。」
 「・・・死ぬ前の執行猶予みたいなものかな?」
 「・・・違う。実刑だ。」
 初めてクロがおどけてくれたように見えたが、どうやら本当にこれが罰らしい。今更余命を貰っても仕方ないけれど、別段重い刑罰に感じなかった。
 「お前に自殺の意思があるとわかり、神様は儂を黒猫の姿にして送り込んだ。決意が弱まった時、そっと運命の流れに戻すためにな。だがお前の決意は固く、どうしても自殺をしたいようだった。儂を道連れに殺してしまうくらいにな。だから神様は仕方なく、自ら手を下すことにしたのだ。神様が手を下せば、折角作った運命の流れが大きく変わってしまう。本当はお前と関わる筈だった人間の運命も変えてしまうからな。だからそれを償う為に、罰を受けてもらう。」
 どうやら、僕は神様に逆らった罪で、もう少し生きるようになるらしい。てっきり神様に逆らえば、いわゆる地獄という場所に行くのだと思っていたけれど、随分と人間は反逆罪を重く考えていたようだ。
 「なんだ。この罰が軽いと思っているのか?恐らくこの罰は、神様が人間に与える罰の中では最高刑だぞ。それに、よく効くしな。」
 「まあね。僕としては、目的だった死もついてきたんだから寧ろ満足してるよ。ところで、罰はいつになったら来るの?僕がここに付いてから結構経つよ?」
 「案ずるな。丁度今、来た。」
 クロがそう言った直後、急に胸が苦しくなった。まるで、大きな手が心臓を握り、つぶそうとしているようだった。息が上手く出来ない。大きな手は僕の心臓を容赦なく締め付け、僕は口を精一杯開けながら膝をついた。
 「苦しいか。それが死というものだ。本来、死は皆平等に苦しい。蝋燭の火は自然に消えるのではない。蝋が無くなり、燃やす物がなく四方八方を囲まれ、苦しみながら消えるのだ。だが、死はそういうもので無くてはいけない。死に苦しみがあるからこそ、生物は死に怯え、生に拘れるのだ。蝋が残っているのに、苦しみから逃げるように火を急に絶つことは許されない。」
 クロは相変わらず淡々と僕に話をしているけれど、痛みのせいか良く理解出来ない。クロの声は確かに聞こえているのだが、僕の脳味噌は痛みという緊急信号を全身に送ることで精一杯で、クロの声を解析してくれないのだ。
 「そろそろ命が尽きるな。では最後にお前が猫になってからの話だ。お前は猫になったら、特に何かをしろとか、そういった命令はない。ただ、雪が溶けるまで死ぬ事はどうやっても出来ない。そして、雪が溶ければ必ず死ぬ。死んだ後のことは、・・・」
 クロの話は、途中から殆ど聞こえなくなった。

 大きな手が、心臓を握る力を強める。

 脳味噌の緊急信号は、意味の無い叫び声に変わった。

命を繋ぎ止めようと必死にもがいていた身体も、司令塔である脳味噌の錯乱と共に動くことを止めた。ついに僕の身体は、死を受け入れることを決めたようだ。

 今まで、自殺を決意した僕の心に、最後まで抵抗してきた頑固な身体。

 激痛を全身に走らせ、僕の邪魔ばかりしていた意地の悪い身体。

 けれど、もう僕の死を邪魔するものはいない。僕は今、この上なく幸せだ。過程はどうあれ、僕は自らの悲願を達成したのだ。気づけば、いつの間にか痛みは消えている。それどころか、心地よさすら感じる。まるで、柔らかなベッドの上で、逆らえない眠気に身を任せ、瞼を閉じるような・・・
 僕は意識を失い、その場に倒れ込む。いつの間にか降る量が増えた雪が、僕の身体に積もり、僕は雪に埋もれた。

 

 急に、僕は体中に冷たさを感じた。意識が戻ったのだ。目を開けようとすると、冷たいものが瞼を越えて入ってきて上手く開けない。そこでまずは起き上がることにしたのだが、上半身を起こそうとしても上手く力が入らない。そこで下半身にも力を入れ、思いっきり立ち上がった。
 恐る恐る目を開く。夜は明け、朝が来ていた。薄い雲越しの太陽でも眩しく感じる。辺りには昨日の雪で銀世界が広がっている。クロはいなかった。

 その代わり、僕の目の前には、僕が倒れていた。

 雪で身体の殆どは埋もれているけれど、今まで鏡で何度も確認していて間違えることはない。

 こいつは僕だ。
 決まり事を消化するように僕は僕の生死を確認する。乗っている雪をどかし、耳を近づける。心臓の鼓動は聞こえなかった。僕の肉体は昨夜死んだのだ。
 そして、僕は後回しにしていた今の僕を確認する。もう十分目に入っている筈なのに、思わずまじまじと両手を見てしまった。そこには、手と言うよりは足と言ったほうが正しい、真っ白な毛で覆われた僕の手があった。

 僕は白猫になったのだ。昨夜の幻想はやはり現実だった。
 「にゃあ・・・。」
 とても自分の声とは思えない甲高い声が、雪化粧の森に響いた。
 
 というわけで、僕は神様の決めた運命に逆らった罪で、白い猫になったんだ。けれどこの時はまだ、この罰による苦しみ、そして神様が罰を通して僕に何を伝えたかったのか、理解出来て無かったんだ。
 さて、この後は、僕が猫になってからの数ヶ月を書いていきたいと思う。もう少しだけ、お付き合いください。