短編№2 ロッカー番号二十番の神様⑨
「四分五十五分!」
大山田の野太い声が、千秋の走破タイムを伝えた。
「水飲んできます。」
相変わらず千秋のタイムを見てざわつく男子生徒をよそに、千秋は水道のある
グラウンドの隅へと歩き出した。
中々調子が出てこない。予選が近づく中、千秋は焦っていた。毎日欠かさず
走り込みをし、筋トレもしている。練習量は、去年より増えている。なのに、
努力が結果に結びついてこないのだ。
こんな時、的確なアドバイスをくれるコーチがほしい。だがこの高校には、
陸上競技に精通した先生など一人もいない。一人でなんとかするしかないの
だ。今だけは、顧問がちゃんと指導してくれる部活が羨ましく思う。
いつもの練習は見ていなくてもいいから、相談した時だけアドバイスをくれ
ればいい。そんなコーチが、千秋は欲しかった。
「千秋ちゃーん!!!」
後ろから突然彩花がぶつかってきて、千秋は水道の水を盛大に顔にかけてしま
った。
「な、なに!?どうしたのよ彩花・・・って、もうゴールしたの!?」
「うん!千秋ちゃんのおかげだよ~!」
グラウンドに目を向けると、まだ何人かの女子がバタバタとトラックを周回
していた。つい最近まで、あいつらより、彩花は遅かったはず・・・。
「なにぼーっとしてるのさっ!」
「彩花、あんた、タイムは?」
「五分五十八秒だよ!」
千秋は思わず目を見開いた。
「私と一分しか変わらないじゃん・・・。」
「いやいや、千秋ちゃん速すぎて追いつけなかったよー。」
「充分速いって。クラスの女子、殆ど抜いたでしょ。」
「うん!確か、順位は三番か四番だった!これで赤点は回避成功出来たでし
ょ!」
「う、うん、そうね。」
・・・あんな、ちょっとフォームを直しただけの練習で、ここまで速くなる
なんて・・・
満面の笑みを浮かべながらガッツポーズをする彩花が、千秋は少しだけ怖く
感じた。
「ほら、千秋ちゃん戻るよっ。また先生に怒られちゃう前にっ。
」
「わかったから服を引っ張るなっ。」
グラウンドの中央に引き返すと、大山田がこちらを見ているのがわかった。
「おい。」
「なんでしょうか?声かけてから水道に行きましたが。」
「松井じゃない。泉だ。」
「なんですかー?」」
「お前、いつの間に速くなったんだ?」
「練習したんですよー!千秋ちゃんと、そこにいる橋本君が指導してくれま
した!」
「・・・お前らが?」
大山田はよほど不思議に思ったのか、怪訝な顔つきで千秋と橋本を交互に見
た。
「・・・友人の頼みだったので。不思議でしょうか?」
「ちょっと千秋ちゃん!そこは友人じゃなくて親友でしょ!?」
泉の不可解なツッコミを無視しながら千秋は大山田に食ってかかったが、橋
本は目を逸らしつつ不出来な微笑みを作るだけだった。
「・・・無茶なことはするなよ。・・・男子!スタートラインに着け!」
珍しく大山田の方から引き下がり、男子を集合させた。ぞろぞろと男子がス
タートラインに向け歩く中、橋本だけが立ち止まり、こちらを見た。
「よかったな。」
「ねえ千秋ちゃん!私達親友だよねっ!?泣くよ?私泣いちゃいます
よ!?」
ゆさゆさと身体を揺らしてくる彩花を無視しながら、千秋はスタートラインに出来た集団へと消えていく橋本をじっと見ていた。
泉のタイムに向けて言ったものなのか、大山田に怒られなかったことを言っ
ているのかはわからなかったが、橋本の控えめな賛辞は、
何故かとても、嬉しかった。