トマト在住の青年による執筆活動

短編の小説を書いていきます。不定期・自己ベスト更新です。たまーに自分勝手な記事も書きます。

短編№1 拝啓、白猫より⑤

 

 僕が猫になってから、一ヶ月が経った。

 相変わらず人間の言葉を喋ることは出来ない。母さんは人間だった頃の僕の葬儀を終えたものの、僕の遺品整理や親族への対応など、忙しい日々を送っていた。スーパーでの仕事も再開していたから、なおさら忙しいようだ。
 

 僕にはまるで、忙しい日々に身を置き、大きな悲しみを頭の隅に追いやっているようにも見えた。
 

 そんな母さんを見守りながら、僕は毎日、そうして母さんと家で暮らしている。
 

 「ほら、シロ。朝ご飯だよー。」
 母さんがキャットフードの入った小皿を持ってきた。僕がこの家に居着いてから、僕のご飯はキャットフードになった。因みに、クロにあげていたものと同じものだ。
 「じゃあ、母さんはお仕事に行ってくるからね。大人しくしていてね。」
 母さんは僕の頭を撫でてから、パートに出かけていった。
 母さんの置いていったキャットフードを食べる。

 ・・・不味い。

 何というか、身体に良さそうというのはわかるんだけど、良薬口に苦しと言うことなのか、美味しくない。猫まんまが恋しい。けれど、僕の前足では台所の引き出しを開けることは出来そうも無い。
 キャットフードを食べ終わり、リビングのソファの上で丸くなった。今、部屋には暖房がついていないので、だいぶ寒い。だからこうして丸くなって寒さを凌ぐのだ。窓から見える外に、雪が降っていた。ここ何日か降りっぱなしだ。寒さの象徴のような雪も、私の命をつなぎ止めているものだと思うと、正直に止めとも祈れない。
 猫の姿になって、僕はこの世界でもう少し生きたいと思うようになった。自殺によって悲しませてしまった母さんを、見守っていかなければならないという思いもある。けれど一番大きな思いは、人間の姿に戻って、もう一度生きてみたいという思いだ。
 外の方から、楽しそうな、甲高い子供達の声が聞こえる。雪合戦でもしているのだろうか。そういえば今日は、日曜日だった。わいわいと降り積もった雪ではしゃぐ、屈託のない笑顔を浮かべた子供達を思い浮かべた。ふと無意識に、僕は自分の前足を見つめる。試さなくても分かる。僕には雪玉は作れない。
 ちらりと時計を見る。針は七時半を指している。まだ母さんが出かけてから十分程しか経っていない。けれど、夕飯まで僕はすることが一つもなかった。ただ、寒さに耐えながら寝て、時間が過ぎるのを待つだけだ。猫の日常がこんなにも退屈だとは思わなかった。それと同時に、日々忙しく動き回る人間が羨ましく感じたのだ。
  母さんを見ていてもよく思う。朝から掃除や洗濯をし、パートに出かけ、夕方帰ってくると洗濯物を入れ、食事を作る。僕に餌をやり、全てが一段落したら、三階に上がり、僕の部屋を片づける。あの日、これでもかと荒らした部屋はだいぶ綺麗になってはいたが、長い時間作業をしていると込み上げてくる思いがあるのか、三十分もすれば母さんは部屋から出てくる。二階のリビングに戻った後は、本を読んだりしている。
 その間、僕は何をしているか。カルガモの雛のように母さんの後ろをくっついて歩き、母さんの行動をただ、眺めているだけ。僕は何もしない。というより、何も出来ないのだ。
 人間だった頃、僕はぐうたら一日中寝て過ごす猫が羨ましかった。けれど、猫は寝ることしか出来ないのだ。この不自由な身体では、勉強をしたり、スポーツをしたり、料理をすることは出来ない。ただ生きるために、食べて、寝てることしか出来ないのだ。

 人間のしていることは、本来生きるためには必要のない事だ。けれど、退屈という苦しみから逃れるためには、必要な事なのだ。勉強をし、働き、稼いで、遊ぶ。その全ては、退屈という苦しみから逃れるための手段なのだ。けれど、僕は人間だった頃、その手段を苦しみと勘違いして、引きこもり、そして自殺を図った。猫になった今ならわかる。

 僕は社会のレールに乗るべきだった。血反吐を吐きながら働いて、僅かなお金でも稼いで、そのお金で、母さんと短い時間でもいい、父さんがいた頃のような、ささやかな、けれど暖かい、晩餐をしたかった。

 父さんは、その一時間にも満たない幸せのために、毎日働いていたんだ。でも、父さんにはそれで充分だった。それが幸せな事だと、自分の持つ光だと、父さんは知っていた。そして、僕にもそれを教えようとしてくれていた。どんな形でもいい、水泳選手でも、ピアニストでも、会社員でもいい。そこで得たもの、名声、お金、笑い話、そんな事を誰かと分かち合う。それだけで、退屈や辛かったことを吹き飛ばすくらい、暖かい気持ちになれるってことを。
 ふと思い立って、僕は二階に上った。ジャンプをしてどうにかドアノブを開け、部屋の中に入る。ここは、僕が人間だった頃使っていた部屋だ。母さんのお陰か、綺麗に整頓してあった。

 捜し物はすぐに見つかった。ベッドの下に潜り込むと、それはまだ置いてあった。遺書を書くために買った便箋の余りと、その時使った鉛筆だ。僕はそれをベッドの下から咥えて出し、床の上に並べた。

 遺書を書こう。そう思った。

 僕が死ぬまで、時間はまだあるんだ。練習すれば、きっと書けるようになる。猫の声では伝えられない、僕の言葉を、懺悔を、謝罪を、母さんに書こう。けれど、それじゃあ文章として暗すぎる。だから僕は、死ぬ間際、悲しみを背負いながら書く後ろ向きな遺書じゃなく、この世界、人間の素晴らしさ、生きることの大切さを、誰かに伝える前向きな遺書を書こう。そんな遺書を書けるのは、多分この世で僕だけだから。

 さて、とりあえず、ここまで拙い文章に付き合ってくれてありがとう。まだまだこの姿になってから体験した事を書きたいのだけれど、もう季節は冬を越え、春に入ろうとしている。雪が溶けるのも時間の問題だ。だから、最後にちゃんと、僕の気持ちをまとめておこうと思う。
 積もる雪~、増す冷たさを~、溶かすのは~、心の春と~、猫は思いて~。
 ・・・まとめすぎかな。正直、時間が無かった。でも、僕の言いたいことは伝わったと信じている。もしこの文章を読んだのなら、少しの時間でもいい。何処かで忘れていた人間の良さを思い出して、自分の生きる理由を見つけて欲しい。じゃあ、最後にします。
 みんな、生きてくれ。・・・さよなら。